大本山大覚寺 勅封般若心経1200年戊戌開封法会

早いもので、平成30年も師走を迎えました。残りの1ヵ月やり残しの無いよう日々大切に過ごしていきたいものです。

先日、京都にある真言宗大覚寺派の大本山である大覚寺へ参拝してきました。
今回の参拝の目的は、「勅封般若心経(ちょくふうはんにゃしんぎょう)1200年戊戌(ぼじゅつ)開封法会」という法要に参加するためでした。


大覚寺について、大覚寺さまのホームページより引用させていただきます。

「弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。
正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。
平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。

嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。
弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。

明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた格式高い門跡寺院である。いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもある。時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名である。」…1


以下、勅封般若心経について大覚寺さまのホームページより引用。

「来たる平成30年(2018)は、旧嵯峨御所大本山大覚寺並びに華道嵯峨御流のご始祖である嵯峨天皇が、宗祖弘法大師のお勧めにより、般若心経を書写された弘仁9年(818)から丁度1200年に当たります。この弘仁9年の春、大旱魃(かんばつ)から全国に疫病が蔓延したことに対し、嵯峨天皇は「朕の不徳にして多衆に何の罪かあらん」と、正殿(御所)を避けて離宮嵯峨院で質素倹約に努められました。そして4月26日から28日までの3日間、弘法大師のお勧めにより、嵯峨天皇及び公卿百官は素食精進のもと、般若心経に帰依して読誦転経し、殊に嵯峨天皇が紺紙に金泥で一字三礼の誠を尽くして般若心経を書写されると、霊験あらたか、疫病はたちまちに治まり、大いなる功徳を得られました。
以来、この嵯峨天皇宸翰(しんかん)の般若心経は霊経と崇められ、勅封として厳重に秘蔵されることになりますが、書写された弘仁9年が戊戌の年であったことから、干支が一巡して戊戌が巡り来る60年ごとに勅使によって開封され、戊戌法会として広く皆様にお披露目することになっており、特に今回は20回目の戊戌という吉祥なる勝縁を迎えます。」…2


上記の通り、今回は60年に一度、ご開帳されるという嵯峨天皇が浄書された般若心経の書経を見学させていただきました。
今からちょうど1200年前の弘仁9年(818年)に災害や疫病に苦しむ人々を救うため、弘法大師の勧めによって般若心経を浄書され、世の平和のためにお祈りされたそうです。
60年に一度という、大変貴重な機会にめぐり合うことができた御縁に、ただただ感謝するばかりです。


参考 
旧嵯峨御所 大本山大覚寺 ホームページ
引用
…1大覚寺ホームページより引用 https://www.daikakuji.or.jp/
…2大覚寺ホームページ戊戌トップページより引用 https://www.daikakuji.or.jp/bojutsu/ 

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